プロフィール写真を撮影しに行ったら自分の怠惰さに気が付いてしまった話

一週間ほど前、プロフィール写真の撮影に行ってきました。

写真には、視覚で分かる姿形だけではなく、あらゆる想いまでも写ると感じています。

だからこそ、被写体という立場に立ってお仕事をしている方は、本当に凄いと個人的に思っています。

 

もともと、被写体という立場になるのがあまり得意ではない私。

プロフィール写真撮影といっても、私の場合どんな風に臨めばよいのか、、、

そんな風に頭を悩ませる所からのスタートでした。

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私の中のプロフィール写真イメージ

仕事用のプロフィール写真の場合、例えば、仕事先が頼んだカメラマンさんに撮影して頂く場合もあったりします。

今回は、特に「こんなイメージの写真が欲しい」と言われた訳ではないので、私自身に全て任されている状況。写真の方向性は自分自身で決める事が出来ます。

 

「私が考える職業柄ベストなイメージ」という方向性で行く事も可能だったのですが、ここ数ヶ月間は、新型コロナの影響で自粛期間もあり、自分と向き合う時間も多かったせいか、

「ただ自分である状態」

そんな状態で写真に写る事が出来たらすごく良いなあ、そんな気持ちが心の奥底で生まれ始めていました。

 

とはいえ、「ただ自分である」といっても、それがどんな状態であるかを自分自身で掴む事が難しい。

そこで、被写体としてのキャリアが皆無の私が思ったのが、「取り繕わない」という事。

この点にだけ気持ちを向けておこうと思いました。

撮影の前に

ちなみに、撮影をお願いする際に、知り合いにお勧めの写真家さんを聞くという事はあえてせず、自分で探しました。なんだか、そうする事が今の自分にとっては大事だと思ったので。

 

お願いすることになった写真家の方とは、打ち合わせと称して、アート全般について、音楽の事、私のキャリアの事、表現をするという事、、、様々な話をしたり、伺ったりしました。

写真撮影の前に、私の人となりを理解しようとしてくださったのだと思います。

私自身、初対面の方に、自分の事を自ら進んで話す方ではないのですが、ちょっとびっくりする部分でリンクしていたりと、なんだか不思議だなと思ったのも事実です。

プロフィール写真撮影で撮影された写真がこちら

そんな流れを経て、撮影された写真がこちら^^

プロフィール写真

           (Photography by Taisuke Sato)

とんでもない事に気付いてしまった私

「こういう表情をしよう」そんな風に思わずに、ただ自分の中の感覚に集中している瞬間を写真として残してくださった気がして、個人的にとても印象深い撮影となりました。

あらためて、今回お会いした写真家さんに、プロフィール写真撮影をお願いして良かったなと思いました。

 

、、、

 

、、、と同時に、とんでもない事にも気付いてしまったのです。

 

それは、写真家の方が、写真の中で世界観をどう表現したらよいかを模索しているという話を、これまでの作品を見せてもらいながら、ふむふむと話を聞いているうちに、

 

「私は、表現をしていない」

 

という事実を、心の底から感じてしまったのですね。

 

言い換えると、

日々の中で「比較されたものの中から正解を求めていく事」については、しているかもしれないけれど、「答えのない所で自分なりに模索していく事」はしていない。

とはっきり気付いてしまったのですよね、、、

 

「答えのない所で自分なりに模索して形にする事」が私にとっての表現だと感じている事もあり、既に存在している「A」か「B」か、はたまた「C」かという選択をする事で、あたかも表現について向き合っている気になっていた自分が、もう恥ずかしいというか、、、

 

まさに「怠惰」以外の何物でもない。

 

そんな思いが頭の中でグルグルと駆け巡り、しばらくは一種の放心状態でした。

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年齢を重ねる中で自分はどう変化しているのか

ある種の危機感を感じながら、昔の自分から今の自分まで、いったいどんな表情をしてきたのか、どんな自分だったのか確認したくて、昔の写真を引っ張り出して見てみました。

プロフィール写真 プロフィール写真 プロフィール写真

20代、30代、40代、、、

こうやって並べて見てみると、自分の内面とリンクしている時期、そうじゃない時期があるなと。

(あくまで私自身の状態であって、撮影してくださった方についての言及ではないので、ご了承ください。)

 

自分の中で知らず知らずに曖昧にしていた部分に気付いてしまったこれからは、かなり気を引き締めていかないといけない。

自分そのものが表情にどんどん出ていく、覚悟を迫られているような思いです。

最後に

「写真には、視覚で分かる姿形だけではなく、あらゆる想いまでも写る」と感じていた私。

写真撮影というきっかけから、自分の怠惰さを突きつけられたという話でした。

正直、自分の中では今もなおグルグルとした感情が存在していますが、その感情は決して悪くはないものだとも感じています。

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