先月末、私がとても好きなアーティストさんの一人でもある、三浦大知さんのライブツアー「球体」に足を運んできました!
今回は、ライブを見て、改めて「表現をする中でのエネルギーのベクトル(方向)」というものを意識するきっかけとなったので、その内容をシェアしたいと思います。
この記事は、三浦大知さんのライブセットリストなどの詳細は全く無く(スミマセン)、どちらかというと、「表現をする」ということを普段からトレーニングしている方へのメッセージとして書いていきたいと思います。
目次
三浦大知さんライブツアー「球体」の感想

ライブを見終わった後の私の Twitter での感想がコチラ。
まるで人の潜在意識に放り込まれたかのようなステージで、見終わった後もなんだかフワフワしてます😊https://t.co/U9XufIPSxJ
— 上北真裕子 (@Mayu_Music75) 2018年6月27日
これまでの三浦大知さんのライブは、歌って踊るスタイルにふさわしく、お客さんは立ち上がって、それぞれ体を動かしたり踊ったりと、大盛り上がりでした。
けれど今回の「球体」ライブツアーは、なんと「着席指定」(!)
私もこれまで「着席指定」のポップスのライブには行ったことがなかったので、どんなライブになるのか、正直未知数でした
結果としては、観劇するような、舞台を観るようなステージだったと言えば良いでしょうか。
ライブに行ってから一週間以上経ちますが、ライブの感想を言葉にするのが難しく感じて、文章にしてみようと思うまでにかなりの時間がかかってしまいました。
Twitter に書いたように、
「人の潜在意識に放り込まれたような感じがした」
というのが率直な感想で、ライブを見終わった後は、しばらくぼーっとしていましたね。
パフォーマーの表現に触れたその余韻が、自分の体の周りにしばらく残っているような感覚でした。
ライブ後はその余韻にしばらく浸っていたくて、人と喋る時間もいつもよりやたら少なかった記憶があります。
三浦大知さん「球体」ライブから感じた「抽象化」「具体化」という表現のベクトル

さて、ここから書いていくのは、完全に私個人の感覚になってしまうので、「こんな捉え方もあるんだ、、、」と思いながら読んで頂けるとありがたいです。
普段、私が無意識に感じている、音楽で作品を作り出す時の流れは、、、
例えば、心の中になんとなく悲しいだったり、モヤモヤとした感覚があるとすれば、その漠然としたイメージを、メロディやリズムなどの具体的な形に置き換えていく作業、
つまり、
「抽象的」→ 「具体的」
という流れで、作品を作り出していると考えていたわけですね。
ちなみに、悲しいイメージを具体的に音楽的な要素に転換していくとすると、曲のキーはマイナーを選んだり、もし歌詞を書く場合は、悲しさを表現する言葉をダイレクトに使ったり、悲しさをイメージするような色(例えば寒色系など)を使った表現方法などがあります。
(説明をシンプルにするため、単純な例えにしてみました。実際は、例外もたくさんありますよ。)
けれど、三浦大知さんの「球体」ライブを見た時に、楽曲やステージ構成など、作品として完成されている「具体的なもの」を見ているのに、まず最初に伝わってくるのが、抽象的で原始的なイメージだったんですよね。
まさに先ほどとは逆の、
「具体的」→ 「抽象的」
という流れです。
これまで、他のアーティストさんのライブを見てきても、どちらかというと私自身の楽しみ方が、歌や演奏という具体化された物そのものを、楽しんだり味わったりする感覚が強かったので、今回のように、具体的なものから抽象的なものをダイレクトに受け取るという感覚がかなり久し振りだったような気がしました。
ちなみに、同じようなデジャブ感があったような、、、と思い出したのは、坂本龍一さんの「async」のライブビューイングでした。
坂本龍一さんの作品の中でも、「電子音を聞いているのに、機械的な印象が全くせずに、むしろ大自然の中にいるような」感覚になった、その感覚ととてもよく似ています。
「具体的/抽象的」どちらが良いかという話ではなく、「自分が今どちらの流れにいるのか、そしてゴールをどこに設定したいのか」ということを把握する事が、表現する過程では重要なのではないかな、、、そんな気付きがありました。
歌詞を書く過程での「抽象化」と「具体化」について

だいぶ曖昧な感覚を文章にしてみましたが、、、いかがでしょうか?
ここからは、実際、音楽の制作過程で「具体化/抽象化」がどんな風に起こっているのかを考えてみたいと思います。
今回は、歌詞を書くという場面を想像してみてくださいね。
例えば、曲の歌詞で、
A さんの作った歌詞は、
- 主人公の性別がはっきり分かる(髪型や服装、体型などの描写)
- 時間設定が分かる(朝・昼・夜)
- 季節などがわかる(卒業の時期、夏の暑い日、クリスマスなど)
一方、B さんが作った歌詞は、
- 主人公としての「私」とは書かれているけれど、それが男性とも女性とも捉えられる
- そもそも時間設定や季節などが限定されている言葉があまり曲の中に出てこない
という違いがあった場合、明らかに「A さんの作った歌詞=具体的」、「B さんが作った歌詞=抽象的」という捉え方になりますよね。
自分が明確に、どちら側に寄せたいかを分かっている事がポイントなのですが、意外と、歌詞を書き始めたばかりの人が書く歌詞は、B さんが作るような抽象的なものに、無意識のうちに寄ってしまう事が多いです。
(私も今だに気を付けないとそうなりがちです、、、)
ただ、歌詞を書き始めたばかりの人が書く抽象的な歌詞と、プロフェッショナルが人が書く抽象的な歌詞の差はかなり大きくあると感じていて、
プロフェッショナルな方が書く抽象的な歌詞の背景には、かなり細かな人物設定、シチュエーション、どんな風にストーリーが展開していくのか、という細かい部分まで、しっかりと練られているのが作品から垣間見ることができます。
自分の中で詳細が決まってないままに、抽象的な言葉だけを並べてしまうと、作品を聞いてる人には、ただ辻褄の合ってないないストーリーのように聞こえてしまうことが多いので要注意です。
もし、歌詞の中でダイレクトな表現を避けたい、でも伝えたい事の本質をしっかり伝えたいという場合は、表現の裏に流れる詳細な設定をしっかりと決める事をオススメしますよ!
そうすることで、曲を聞いたオーディエンスは、「なんだか言葉にできないけれど、すごくグッときた、、、」という感情になりやすいのではないかなと思います。
詳細な設定を考えるというのは、正直、手間はかかると思うのですが、現時点での自分の感じ方が、具体的な方向に向かっているのか、それとも抽象的な方に傾いてるのかという意識があるだけで、作品の方向性を失わずにいられるという事は、強みになるのではないかと思います。
まとめ
表現方法というのは人それぞれ違いますし、正解も不正解も、結局の所、存在しないのかもしれません。
けれど、自分の中で当たり前だと思っていた感覚が、誰かのパフォーマンスや表現に触れた事で「あれ?こんな表現の方向性もあるんだ」と感じるきっかけになるのは、やはり実際に足を運んでこそですね!
私が、普段、仕事で担当しているレッスンの中だと、どうしても技術を伝える必要性があるので、知らず知らずのうちに具体化する流れが強くなっていたんだなぁ、、、ということに気付きました。
ただそれだけだと、表現力を磨くという意味では少し弱い所もあるので、自分に合った「具体化」と「抽象化」のバランスをとる方法を見つけていきたいと思います。
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